太陽が沈み、月が昇るそこで、人間に彼らの戦略を読むことは難しく、また不意打ちにも全く対抗できないのは言うまでもない。
普通の人間が魔法使いに勝つのはとてつもなく難しい。――などということは、当然出来るはずもなく、しかし人間は抵抗を試みる。それは通常、その人最後の抵抗となる。一部の冷酷な魔法使いは人を殺めることを厭わない。人の冷酷さと、魔法使いの冷酷さは、時に度が違う。人の冷酷さなど、魔法使いから見れば大したものではない。その冷酷という決意は、よほどのものでなければ人を殺さない。殺そうとしても躊躇してしまう。そんな“冷酷”など。
――それ故、創始期の魔法使いは『人を殺める魔法』を封印した。しかし、『攻撃する魔法』は封印しなかった。その時から“魔物”の恐怖というのは存在した。攻撃魔法を封じては対抗が出来ない、と。
しかしそれは、現代になって攻撃対象を変えた。“魔物”から、“人”へと。
攻撃魔法は、時に、人を殺める。
「風矢、20本」
単純な単語と数の組み合わせだが、それでも立派な呪文であることに変わりはない。それが呪文でないと言い出したら、魔法界にいる3分の1が呪文ではない何かを詠唱していることになってしまう。
ゆらゆらと現れた風の集まり。普通の人間には見ることの出来ない不可視の鏃が、真っ直ぐにターゲットへ向けられた。
「放て」
術者のその一言が、この矢を放つ唯一の方法である。
「カノイ、戦闘準備」
『了解』
家でくつろいでいると、瑞樹が突如そんなことを言い出した。
「え?」
「家の外に誰かいる。殺気を剥き出しにした誰かが」
瑞樹が向いた方角にはガラス戸があり、その向こうには家を囲う生け垣しかない。その生け垣はあまり高さがないため、誰かいるならばすぐに気付く。しかし、純一が見る限りそこには誰もいない。
「自分で“空間”を展開せずに勝負を持ちかけてくるなんて良い度胸じゃないの……」
瑞樹が杖を振った。その途端、彼女を中心として亜麻色の空間が広がる。
(これは……風矢か)
『了解』
声に出さなくても、彼女の思考はカノイと通じている。もちろん、術者が望むことだけ、ではあるが。
ぱっと、黒い羽根の様なものが散らばる。それは円形をとり、下に動く。跡が残り、うっすらと灰色に色付く円柱が2つ出来上がった。
その直後、ガラスが割れた。その向こうの生け垣を見ることが出来たのならば、純一は生け垣に無数の穴が開いていることに気付くことができただろうが、「来たよ」と瑞樹が言ったのでそれに集中している場合では無かった。単純な風矢のみでその防護壁が破られることはないのだが、それでも襲われているという感覚があった。
何故なら、“独立空間”の展開が完了し、不可視状態にあった風矢が誰の目にも見えるようになったからだ。もちろん、見るためにはその空間内で動ける状態に無ければならないのだが。その状態にあるのは瑞樹、純一、そして『誰か』の3人のみだ。範囲内に魔法使いがいるのならば瑞樹は気付いているはずである。その瑞樹が何のリアクションも起こさないのだから、他に人はいないと考えるのが妥当である。
風矢は防壁に当たると、『割れ』た。そのまま散って、すぐに勢いを失い消える。風を操って人を射抜くだけの威力はあれど、所詮風である。勢いを失ってしまえばそれは『空気の流れ』ではなくなる。単なる『空気』と化す。その空気を制御し続けるより、手放して手近な風をまた操るのが常識である。
「どこだ……」
瑞樹は部屋の中を見回す。しかし、『誰か』は2人の目には全く見えない。
純一は瑞樹の変化に気付いていなかった。
(……不可視魔法?)
魔物が使う不可視魔法は、魔物だけに低レベルだ。“独立空間”内に入ってしまえば、その不可視魔法は解ける。が、普通の魔法使いが使う不可視魔法は、“独立空間”内に入っただけでは解けることはない。展開者が“空間”に不可視魔法を解く魔法を施したなら解けてしまうのだが、そうでなければ普通に見えない。近付けば気配を察知されるかもしれない。不可視魔法はあくまで『不可視状態』にするだけだ。気配を消すことまでは出来ないし、気配を消す意識阻害魔法と不可視魔法は相容れない存在である。
不可視魔法――実際には意識阻害魔法の低レベルなものである。逆に言えば、意識阻害魔法は不可視魔法の応用であり、結局意識阻害魔法も土台は不可視魔法である。意識阻害魔法とは、自分の存在を意識させることを妨害――阻害する魔法である。
不可視魔法といえど、本当に不可視にすることは不可能だ。どうやって不可視に『見せている』のかというと、不可視魔法の対象者を見ようとした者に、『そこには何もない』と意識させる。しかし、脳はそれを無意識のうちに意識するため、本当に見えなくなっているだけである。
魔法の事を熟知している者に対して、不可視魔法は全くの無意味である。
何故なら、その者たちは不可視になる理由を知っているからだ。ただ、不可視であることに気付かないため、その知識は全くの無駄となるのだが。
不可視状態をどうにかするには、不可視魔法を強制的に解くか、意識阻害を自らにかけるかの2つである。強制的に解くことに関しては抵抗が可能だ。後者は先に述べた『魔法の事を熟知している者』しか行わない方法である。この方法の場合、抵抗は不可能である。それは魔術学校では習わない。否、習えない。そのことを知る歳にはもはや教員にはなれず、教員になる歳ではそのことを知らない。
しかし、何故か。
瑞樹は知っていた。意識阻害を自らにかけることで、不可視魔法が事実上解除されることを。
意識阻害を自らにかけると、『そこには何もない』と意識していたのが阻害される。つまり、『そこには何もない』と意識できなくなる。
「コンスシエンティア・レタルド」
瑞樹は意識阻害の呪文を唱える。
意識阻害を自分にかけるには、まず意識阻害を意識しなければならない。しかし、何の手助けもなしに意識阻害を意識していては意識阻害に失敗する。何故なら、意識阻害がかかった途端に、意識阻害を意識できなくなるからだ。一旦かかっても、即座に解除されてしまう。そのため、意識阻害や、とにかく意識に関わることは必ず呪文詠唱を行わなければならない。
一瞬瑞樹の体が光った。
「見えた」
瑞樹がにやりと笑う。
『命令認識。発動』
いくつもの線が伸びる。強い光を放ちながらそれは空間で途絶えた。
「不可視魔法じゃ、駄目でしたか……」
ゆらゆらと、陽炎の中から湧き出てくるように、少年は出てきた。背丈はそう無いのに、やたらと大人びた嫌みらしい笑みを顔に浮かべている。口調も静かである。
「……いきなりですけど、最終決戦です」
冗談めかして言った台詞の様に聞こえた。しかし、その顔は真剣そのものだ。
男は、にっ、と笑った。そして、
「僕はジェフス・レクレストです」
その名前を聞いて、瑞樹は一歩引いた。その表情は、驚き以外の何物でもなかった。
「――久しぶりですね。『姉さん』」
「『姉さん』?」
「何しに来た、ジェフス」
「何って」
その嫌み臭い笑みをさらに歪めた。
「――最終決戦。って、言ったじゃないですか」
純一は疑問に思う。そこにいるのはジェフス・レクレストという『瑞樹の弟』だ。ならば、何故目の前にいる瑞樹は『遠見瑞樹』という名なのだろうか、と。
「純一、ごめん――」
純一の方を向いて微笑む。
「後できちんと話すから。だから今は、ごめんね」
「生きてここに留まるつもりで?」
「当たり前じゃない。私には、守るべき大切な人がいるんだから」
「……遠見純一?」
何故知っているのか、とは聞かなかった。瑞樹は知っていた。純一を連れて、倒したあの魔物。あれがジェフスが召喚したものだと。しかし、本人が出てくるとはさすがに予想していなかった。
「そう。――ちょうど良い。決着を付けよう。あんたには死んでもらう」
「余裕ですね、姉さん」
「……あんたに『姉さん』なんて、呼ばれたくないッ!」
瑞樹が杖を振ると、強力な風が発生した。その風の中で小さな放電が起こっている。確かに、それの見かけの規模は小さい。だが、触れると気絶する程度の力は持っている。
「風使いに風を用いた攻撃とは……――『止まれ』」
風使いにとって、風を扱う際に対象を言うのは野暮というものだ。命令文を言うなり、手を出すと、その瞬間に風は止んだ。
「最後だもの、本気でやる」
瑞樹は、杖を剣の様に構えていた。その杖には亜麻色の何かがまとわりつき、瑞樹の様子もおかしかった。純一が気付くまでに。
その“杖の剣”は、純一も見たことがある。その威力はすさまじいもので、あのでかい魔物を一発で2つにかち割った。
だが、瑞樹のその様子は未だ見たことが無かった。それは純一に限らない話だ。ジェフスですら見たことがない。しかし、ジェフスは驚かない。それぐらいあることを知っているからだ。
(この戦闘狂……)
瑞樹の瞳は、黒に藍色を混ぜたような色だった。藍色と表現するには黒みが薄すぎた。かといって黒と表現するには青色が多い。例えるならば、夜の色――漆黒の闇の様に見えて、ほのかに青く色付いている。そして、その瞳孔に光はない。
それに、カノイの色がおかしかった。少し濁った白色だったのが、今は真っ赤だ。
瑞樹が飛ぶ。それに合わせてジェフスも移動を開始する。小さな家の中で、その最終決戦は始まった。
それを目の当たりにしても、純一は「姉さんがいなくて良かった……」と思った。どちらにせよ、“独立空間”内で動けるはずもなく、無論その光景を見ることは出来ない。純一の頭からそんなことは消えていた。それは“独立空間”に入ったのが初めて――記憶にある中では初めてだったからだ。
白い帯が空中に流れては、消えた。
武器を持たずに最短形呪文を唱え続けるジェフスに対し、瑞樹は亜麻色の剣を近付いて振り続ける。
ジェフスが風使いなのが、瑞樹にとっては不利となる大きな要因だった。風使いは敵を斬ったり、妨害するのが得意である。そのため、接近戦となると風使いは主導権を握りやすい。相手を翻弄し、隙を見つけては斬りつける――風使いは主にこのような戦法を使う。
その風使いであるジェフス相手に最初から接近戦を持ち込んだ瑞樹は一体何を考えているのだろうか。ジェフスも実際のところはそう思っていたが、戦いにそのような思考は不要である。単に邪魔なだけだ。
瑞樹のその自信は、純一の存在があった。“アンプリアック”の“器”は誰もが違う。しかし、はっきりと大きさが分かることもない。純一の持ちうる“器”の大きさも当然分からない。もしかしたら、『無いよりはマシ』という程度かも知れない。それでも瑞樹は信じる。
瑞樹は空気を蹴り飛ばし、薙ぎ払うように杖を振る。そこにジェフスはいない。横に広い形をとった雷が瑞樹から見て奥に移動したジェフスに向かう。
瑞樹はその雷の下に潜り込むように移動する。ジェフスは浮いており、これ以上上に行くことはすなわち天井を突き破ることを意味する。この家だってそこまでぼろ家ではない。そこを突き抜けるにはある程度の力を要するだろう。
瑞樹の予想は当たった。ジェフスは下に避けた。瑞樹は杖で円を描き、その中心部を突いた。円は前に進み、筒を作る。ジェフスはそれに囲い込まれた。
(破れない!?)
『制御』
円柱形のそれが円錐形になる。ジェフスは先端部――ちょうど、頂点の辺りにいる。
「ぐ……ぁぁ……あぬぅぁっ、だっ!」
ただの電流が流れただけなら、こんな奇声を上げただろうか。
効果が切れ、円錐が徐々に薄れ、そして消えた。
そこにいたのは帯電したジェフスだった。未だにバチバチという音がしている。風使いの弱点。『超接近戦や狭い範囲での包囲』をされると、風使いの有利性はあっと言う間に消え去る。
「く」
何とか立っている、という状態でジェフスは瑞樹を見る。瑞樹はジェフスを睨んでいる。光の暖かみが消えた瞳孔に睨まれるとかなりの恐怖感がある。しかし、ジェフスはそれどころではない。帯電すると上手く体を動かせなくなる。
よろめきながらゆっくりと浮かぶ。地上30センチ程度を維持しつつ、体のしびれが取れるのを待つ。もはやそれ以外に選択肢はない。
だが、敵は待つことがない。その敵が『狂っている』のだとしたら、なおさらである。
瑞樹は真一文字に口を結び、ただ、無言で斬りかかる。空中を滑る様に移動した。走る速度とは比較にならないほどの速さだ。それをまだ上手く動かない体でよけることが出来たとしたら、よほどの天才だろう。――単なる僥倖、という可能性もあるが。
しかし、ジェフスにそれだけの運も能力もなく、鈍くも速い音がその部屋に響く。耳に残る嫌な音だった。
瑞樹は杖を真横に薙いだ。
杖が描いた白色の帯はジェフスの体を2つに分けた。
「――っぁ」
どうすればこの声が出せるのか疑問に思うほど妙な声を出し、ジェフスの体は横に『ずれた』。切り口は赤色ではなく亜麻色だった。
2度、似たような音がした。それは上半身が落ち、下半身が倒れた音だった。切り口から粉雪のような亜麻色の光が舞い上がる。ジェフスの体は消えつつある。ジェフスは、それと似た、消え入る様な声で最後の言葉を残した。
「制御を離れた魔物は――」
そこまで言って、ぱたりと力が抜けた。残る最後の力で何とか心臓が消えても声を発していたが、声帯が消えてはもうどうにもならない。
(『制御を離れた』?)
その声を聞き取った純一は、何か寒気を感じた。
(『魔物は』……!?)
まさか、そんな。純一はそう思うが、しかし事実は変わることがない。
外で破壊音が聞こえ始めた。瑞樹はそれに気付くことなくただ棒立ちしている。
「瑞樹っ!」
彼女の名を叫ぶ。彼女はそれに返答を返さない。
今、彼女が展開した“独立空間”に、行動可能な魔法使いは1人としていない。
それはつまり、“魔物”がいても何も出来ないということを意味している。
――瑞樹は、ゆっくりと倒れた。
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