ふと、純一は夏空を仰ぐ。
どこまでも透き通る空。雲は1つとして無く、視界を遮る物は何もない。
ただただ、純一の視界には青が映っていた。
「はあ……」
目を閉じる。青が黒に変わり、感覚が頭の中で閉じて回り出す。
(あいつと離れてもうどれぐらいだろうなぁ……。なんだか妙にのんびりした気分だ)
ベンチに腰掛けたままゆっくりと息を吐き出す。そして、思いっきり吸い込む。夏独特のどこか湿っぽく、どこか熱い空気が肺を満たした。
(気持ちよくは……ない、かな)
目を開ける。
開けた目をそのまま通常の場所で止めずにそのまま開けられることが出来るところまで見開いた。
そこにあった空は、波打つ亜麻色になっていた。
今までの青空――正真正銘の“青い空”はどこかへと場所を移し、今はただその場を亜麻色の光に譲っていた。
「……え……まさか、また?」
慌てながらもどこか懐かしむような。焦りながらもどこか期待するような。そんな声を純一は出した。
体を起こすと、純一が見る世界全てがその色に染められていた。
“独立空間”――それが今、純一がいる空間の名である。結界のようなものだ。今からこの空間内で起こる出来事は世界を歪める。その歪みが他所に及ばぬように、空間を切り離すのだ。
純一が呟いた言葉の通り、純一が空間内に入るのはこれが始めてではなかった。そして、この空間の存在や、存在意義を純一は知る。
しかし、
「やっぱ慣れないな……この感覚」
一般人にとってこれほど違和感を感じる場所は無い。と、この空間の存在を純一に教えた人物は言っていた。当然である。空間内はただ単に空間を切り離しただけではなく、“世界の秩序”というものが存在しない。それ故この空間内は歪みにくい。
「どっちにいるんだろ――」
そう純一が呟きながら周りを見渡そうとした途端に爆発音と共に地面が揺れた。
「……あっちか」
その揺れの後から黒い煙が上がり始めた方角を見つめたまま、純一は立ち尽くしていた。その一点を凝視したまま、今だ揺れ続ける地面に立った。
煙は亜麻色の壁に当たる前に薄くなり、そして消えていった。壁に当たることは無かった。
『あの壁周り数メートルには“現象緩和”が働いているの。――何が起こるかっていうと、向こうの出来事がこっちに影響せさないようにして、こっちの出来事が向こうに影響させもしないってこと』
その壁の周りで起こっている現象を純一はこう説明された。その時純一は「へぇ……」と、『分かったような分からないような』という雰囲気を滲ませながら返事をしていた。
煙の一部から角が突き出した。ものすごい勢いで角は伸び、細くなっていった。数キロメートルの距離では確認できなくなるほど細くなる頃、その先端部に影があることを純一は確認した。
影は亜麻色の光をまき散らしながら純一に接近していった。
――そして、純一の目の前に今までの飛行速度からは推測出来ないほど軽く小さな音を立てて着地した。それは、純一と同年代の少女だった。
「やあ、瑞樹」
「久しぶり、純一」
2人とも、一旦微笑みを作り出してから元の表情に戻した。
「再会を喜び色々話したいところだけど――またなの?」
「うん。また。……もちろん、来てくれるよね?」
「ああ」
「……じゃ、行こう、純一!」
『瑞樹』と呼ばれた少女は、純一の手を取りリズム良く三段跳びした。3回目の“ジャンプ”で一気に空へと昇っていった。純一はそれに振り回されていた。
(これだけは、慣れた……かなあ、多分)
思うことと裏腹に胃から食道に遡上する胃の内部にあった物体を唾で押し戻しつつ、純一は空へ昇る。
人間離れした跳躍で、ある程度“ジャンプ”――瑞樹曰く“離陸”――の勢いで高度を取ると、瑞樹の足下に空間壁と同じ亜麻色の台が出来た。
同じく人間離れした力で純一を引っ張り上げると、その足下にも亜麻色の台が生まれた。
『飛行力場属性を不可視へ。エレメント、半活性化――魔力流入を確認。補助防護壁展開』
その台は両方とも、自然と霧のように消えた。
瑞樹が手にする小さな羽根が付いた黒い杖に埋め込まれたエレメント――魔法の発動や制御を行うもののこと。宝石の様な形をしている――が光り始めた。
そして、薄く白い光のベールが純一を包む。それも、台と同じようにすぐに消えた。
『補助防護壁展開確認。飛行力場安定。空間内の魔法反応は全て既知のもの。――スタンバイ』
その声を聞いて2人は向き合った。小さく頷くと、空気を蹴る動作をした。
すると、加速無しでいきなり飛行機並みのスピードを出して飛び始めた。
魔法は世界を変化させる。世界にある物理法則といった類は全て無視される。一般人の日常からは考えられない、あり得ないことを引き起こすことも――もちろん、魔法そのものの難易度にもよるが――容易いことだ。
しかし、それは世界を『強制的に』変化させているのだ。世界は全ての物事に手続きを必要とする。魔法はその手続きを全てスキップして、結果のみを現す。必要とするものが無ければ何が起こるか。当然、不具合、不整合が生じる。世界にとって魔法は“自然”ではない。元々世界が持ち、隠していた事、『魔法』を人が見つけ、世界がそれを隠していた理由も知らずに使っているのだ。
――今だ黒い煙が立ち続ける場所に浮かぶ亜麻色の光は漂うまま行動を起こさない。
そこにあった市立図書館に隣接するプラネタリウムは、少しいびつなドームの上半分がきれいに無くなり、夏休み真っ直中だというのに『閑古鳥が鳴く』という言葉はこの状況を表すために出来たのではないかと思うほどの座席の埋まり具合を晒していた。
そして、その隣でうなり声を上げている黒い怪物は“魔物”と、そのままの名称で呼ばれている。
「弱いね」
「……そうだね」
戦いもしていないのに瑞樹はそう漏らし、純一も同意する。
瑞樹は杖先を怪物に向けた。
『命令を認識。発動』
杖先に人の目では電子顕微鏡を使おうとも見ることのできない粒子が集まる。世界に存在するとある粒子、“可変換子”。存在を構成する粒子……素粒子と似ているが、決定的に違うのは、何らかの微弱な力を与えると変質するということだ。
一般的な粒子というものは他の物質に変換されることは無い。そして、それらはそれだけで世界に影響をもたらす何らかの特徴を持つ。しかし、この粒子は『微弱な力を与えると変質する』という特徴だけであり、その他の特徴は一切無い。世界に対して何の影響も無く、集合しても見ることが出来ない。
攻撃系の魔法は、この“可変換子”を集め、術者の魔力を粒子に与える。そうすることで粒子は属性を帯びると同時に実体化する。実体化した瞬間に粒子は別の物質へと変化する。
この粒子は非実体化状態で短時間に大きく場所を移動させるほどの力を加えると壊れてしまう。存在を構成する粒子であるがために、自らの存在を上手く構成できていない、つまり不安定なのだ。
そのため、魔法を使って集める。魔法で粒子の性質を変化させる。世界の構造を局所的に変えてしまう。粒子移動魔法がかかっている間、『非実体化状態ではとても脆弱である』を『どのような状況下でも破壊されない』という性質に変化させるのだ。
そして、これらの魔法は全て杖が思考し、発動する。術者は、例えば『雷の斧を杖に纏え』とだけ念ずれば良い。
当然、杖は術者のままに動く。発動こそするが、その後の制御などは全て術者が杖を通して行う。それが術者の“技量”なのだ。
――杖先に小さな光が灯った。杖が粒子に力を加えたという印だ。杖は粒子を球体状にして集め、表面にのみ力を加える。どこに加えるかは目標の位置による。力を加えると、粒子は他の物質に変化すると共に、運動を開始する。その物質に当たった粒子は物質から力を加えられ、変化する。そしてまた動き始める。これらを繰り返し、最終的には全ての粒子が同じ物質へと変化し、移動し始める。
攻撃的な属性を持つ光の球――“爆弾”に相当するものを敵に投げかけた。瑞樹の属性は雷であるため、この爆弾は電気を帯びている。普通の人間に当たれば感電死確実の強さを持つ電気だ。
その光はやはり亜麻色だった。
光は後ろに同色の光を撒き散らしながら魔物に向かって突進する。
魔物は光を認識すると、緩慢な動作で回避しようとする。しかし、あまりにも認識が遅すぎ、あまりにも動作が遅すぎた。頭部にクリーンヒットした光は頭部の一部を抉りながら直進、真ん中あたりで一気に放電、爆発した。元ある力と抉るときに属性変換で吸収した力の合計がイコール爆弾の威力となる。
魔物の頭部が光の飛沫となり、ある程度飛んだところで勢いを失い雪のようにゆっくりと舞い降りてきた。
頭部が消し飛んだのは一瞬の出来事だ。頭部から光が漏れ出てきたと思ったら次の瞬間には頭部の体積が増え、さらに次の瞬間には弾けていた。
しかし、相変わらず魔物は腕を振り回し続ける。図書館に当たった腕をそのまま振り下ろし、図書館を斜めに切った。勢い余って地面に食い込んだ腕を引っ張り上げると、斜めに切断された図書館を縦に切った。
その魔物の断面には黒い球状が見えていた。その中では煙の様な物が蠢いていた。――魔物の中心部、“コア・エレメント”だ。生物の思考、生命維持を司ると同時に魔法制御を行うエレメントのことだ。魔物ならば必ず持つものである。人間で言えば脳、心臓、エレメントの3つを一緒にしたものと言える。――そして、魔物を完全にこの世から消し去るには、この“コア・エレメント”を破壊する必要がある。破壊しなければいつまででも活動し続け、時間が経てば回復してしまう。
瑞樹は身構えた。
『命令を認識。発動』
杖先から伸びた光芒は瑞樹に巻き付いた。それはまるで繭を作り出しているような光景だった。しかし、その光は透けており、瑞樹の姿がはっきりと確認できた。
『……完了。杖強化』
今度は杖そのものが発光し始めた。黒い杖から出た光は剣の形を取った。
――そして、そこに現れたのは黒い芯を持つ、雷を纏う透けた亜麻色の剣だった。
『完了』
瑞樹がそれを手にするということは、最も得意とする超近距離戦闘に持ち込むということだった。
“コア・エレメント”は破壊されれば存在構成が崩れ、消える。それ故“コア・エレメント”付近には強力な防護壁がある。『自らの体力のうち40パーセントをこの防護壁の生成に回している』という説すらあるほど、強力な防護壁だ。
それに対抗するために瑞樹は超近距離戦闘に移行するのだった。魔物と比較して10分の1もないその身1つで。
結果から述べれば、その後の勝負は一瞬だった。『あっと言う間』という言葉があるが、現象を認識して「あ」と初めの音を発声する前には決着が付くほどのスピードであり、一流スポーツ選手相当の動体視力を持ってしても追跡できないほどだった。しかし、ここで説明を行わなければ怠慢だと思われかねないため、全知全能である神の能力を用いた状況説明を行う。
まず、瑞樹は空気を蹴り飛ばした。直後に出たスピードは第二宇宙速度とほぼ同じスピードだった。もはや人間が生身で耐えることの出来ない程の重力がかかるはずなのだが、“魔法”という“不可思議”の前ではそんなものお構いなしだ。
その後、杖を振り上げた。この時点で既に“コア・エレメント”の数メートル前。
そして、その杖を振り下ろした。
剣状の雷を纏った杖は“コア・エレメント”をすっぱりと切った。
その後、きれいに二等分された“コア・エレメント”は切り口から粉雪となって舞い上がり、そして、ほんの少しだけの余韻を残して消え去った。
“コア・エレメント”が消えゆくと同時に魔物の動きはぴたりと止まり、完全に消えると同時に頭部で“爆弾”が爆発したときと同じように飛び散り、消えた。
……ここまでで、1秒。
『“コア・エレメント”消失。魔法反応消失――確認済み敵勢力全滅を確認。空間内に新規魔法反応無し――戦闘終了』
光の性質が静かな反射へと変わる。
目で動きを追跡しようとして見事に失敗した純一が詰まりかけの息を解放した。別段驚く様子がないのは見慣れているからである。
『ご苦労様、瑞樹。――久しぶり、純一』
「ああ、久しぶりだね。カノイ」
『カノイ』というのは瑞樹のエレメント、“彼方の雷”の俗称である。いちいち正式名称で呼んでいたら面倒臭いという理由でつけられるのが常である。ちなみに、『つけられる』と述べたが、実際のところはエレメントが自ら名付け、エレメント認証時に名乗るのが普通である。
「……純一、早速だけど、ちょっと話が」
「ん、何?」
瑞樹は純一の手を握って聞いた。
「私と……来てくれる?」
純一にとって、この質問は初めてではなかった。
メイジ・イレイス>第1話・プロローグ 始まりに向ける終わり